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『クロニーク(時評集)』を読む
 

執筆時期・:2004年頃?
Tag: 論考、マンシェット、ポラール批評



 批評家としてのマンシェットは「切れ味」が命だった。

 この刀は良く切れる。ロマン・ノワールとは何か、ネオ・ポラールとは何か、自分の言葉で要領よく定義して議論をテキパキと進めていく。少し馴れてくると切り口に癖があること、偏りがあることも見えてくるのだけれど、最初はそんなことは分からない。「黒」の内側と外側、その境界線を文学、文化、社会、政治、歴史から次々と線引きしていく。マンシェット批評の「明晰さ(リュシディテ)」と呼ばれているものである。

 作家没後に編纂されたポラール誌の追悼特集号(97年)で、「批評家としてのマンシェットをどう思いますか?」の質問があった。批評は読まないと答えた作家が大半だったにも関わらず、数人(シニアック、デサン・・・)は「明快さ」、「厳密さ」、「簡明さ」の言葉でマンシェット批評を讃えている。 

「あの賢さは・・・平手を喰った感じだった。見事だよね、厳密、要求が高くて容赦ない」 

パスカル・デサン
ポラール誌、マンシェット追悼号 

 マンシェット批評は単に定義し、整理していくだけではなかった。「良いノワール」と「悪しきノワール」の基準が明快で、良くないと判断された作品は容赦なく斬って捨てられる。80年前後、新たに登場したノワール作家たちを「ネオ・ポラール」と一括したのは他ならぬマンシェットだったのだけど、わずかな例外(プリュドン、モルジエーヴ)を除けば全否定に等しい扱いだった。 

 当時の仏ノワール界で随一の切れ者だったのは間違いない。博識な切れ者である。当然敵も多かった。「高飛車だ」、「鼻持ちならない」のイメージを生み出す原因にもなった。「批評家としてのマンシェットをどう思いますか?」の質問に「尊大な物言い」と答えている作家(マルク・ヴィラール)もいるのである。 


 『クロニーク(時評集)』は76年末から95年までに残されたノワール批評を網羅している。 

 70年代後半、「ロマン・ノワール」と言えばセリ・ノワール(そして姉妹版シュペール・ノワールとカレ・ノワール)だった頃。毎月発刊される小説群を次々と読破し、傾向を分析、良し悪しを見極めていく。時には段ボール一杯で届けられた本を前に途方にくれている可愛い姿も垣間見える。 

 70年代末、壮絶なネオ・ポラール批判に取り掛かる。愛好家が新しい才能の擁護に回る中、マンシェットはあえて孤立を選び攻撃をつづけていく。「あの連中にはプロの意識が欠けている」。純文学と犯罪小説の境界が曖昧となり、作家がジャンル越境を始めていた中、一人ジャンルのハイブリッドに反旗を翻す。 

 80年代中盤は病気で休養が入る。でも大事な一瞬は見逃さない。87年、翻訳発表後も書店でくすぶっていたエルロイ作品に火をつけたのはマンシェット批評(リベラシオン紙)だった。自身の小説発表からは遠ざかり、作家自身が何か神話に似たものへ変わっていく。 

 93年の復活。ポラール誌で批評再開。作品紹介の比重を落とし、ノワールの書き方作法(「文体とは何か」、「銃器を表現するときの注意について」)を伝授していく。 

 時代によって、媒体の性質(専門誌/一般紙。月刊誌/季刊誌)によって語り口は変わっている。それでも仏ノワール界20年間の変遷を雰囲気として追うことはできる。時代の空気が反映しているサブカルチャーを空気とともに掬いあげていく。『クロニーク』は移ろうものが移ろっていく様を追体験させてくれる。 


 時評の積み重ねだけではない。 

 完璧に練り上げられたものではないが、ここには古典ハードボイルド作家(ハメット、ケイン、アイリッシュ、ハイムズ、チャンドラー、マクベイン)の各論が収められている。 

 「ポラールは暴力性の高いハード・ボイルドを意味している。英国流の謎解き小説では悪は人間の性質に由来しているが、ポラールでは変化していく社会組織が悪の根源となっている。ポラールは不安定な世界からもたらされるもので、それ自体が不安定な、いつか倒れて消えていくものである。ポラールは危機の時代の文学である。最近復活しているのも驚くには当たらない。ただしケインについていえば語られているのは1929年の経済危機である」 

 ジェームズ=M・ケイン論、1979年

 「行動主義風、と呼ばれる有名な文体にしても、理性の策略を前にした猜疑心、静かな諦めの表現にすぎない。ハメットは現れてくるものだけを書いていた。見せかけからリアリティを導き出してくる。不確かな人間の心など当てにしない。ハメット作品では何もかもが嘘をついている。看板でさえ嘘を付いている。自分の言葉が真実だと信じている者は勘違いした思いこみを語っているだけ、素朴な連中なのである」 

 ダシール・ハメット論、1980年 

 作家各論とリンクするように、ジャンル論(ハードボイルドとは何か/ハードボイルドではないものとは何か/サスペンスの位置づけ)、文体論(簡潔な、乾いた文体は如何にして可能になるのか)、さらに文化論(ディズニーからハリウッド映画、ヴェスパ、コカ・コーラ)、そして政治・社会論が語られていく。 

 70年代の批評ではハードボイルド/ロマン・ノワールと社会・政治の関わりに重点が置かれていた。独特のノワール史観が成熟していく。その極致は82年『犯罪小説』(アタラント社)の序文になるだろう。その後、専門誌(ポラール誌)への寄稿を始めてからは文体・形式への指摘が増えていく。「黒」が生み出されてくる重層構造の要所要所を押さえていこう。そんな基本姿勢に変わりないのだが。 


 ポラール批評といっても様々で、宣伝文句を鵜呑みにした印象批評も珍しくない(マガザン・リテレール誌のポラール欄は好例である)。ミシェル・ルブランやフランシス・ミジオは自分を道化にしつつ、毒気のある物言いで読み手を楽しませてくれた。 

 マンシェット批評の凄みは博識や明晰ではないだろう。 

 「ロマン・ノワールとは何か」に向けて削ぎ落とされ、絡み合っていった思索の一歩一歩が読み手を驚かせる。ノワール馬鹿一代としか言いようがないのだけれど、あれほどの好奇心と感性、知性の全てが黒の謎に収斂していった。最後の最後で答えは出ていないのだが…別に構わないのではないか。残された文章が丁寧にまとめられ、一冊の書物として公刊され、読みつがれていく。 

 黒と黒が織り重なると新しい黒が生まれてくる。そんな風景を駆け抜けていく覚醒の書物。 


【書誌】

『クロニーク(時評集)』 ジャン=パトリック・マンシェット著
    - Chroniques / Jean-Patrick Manchette
      Paris: Payot & Rivages. -(Ecrits noirs). -1996.




] Noirs [ - フランスのもう一つの文学 by Luj, 2008 - 2010