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フレンチ・ノワールの探偵たち
 

執筆時期・:2005年頃?
Tag: 論考、テマテェイーク、私立探偵


 フランスの犯罪小説では私立探偵が目立たない。 

 元々「探偵」は合衆国の風景で誕生している。コンティネンタル・オプ、サム・スペードは米語の簡潔簡明さで書かれてこそ雰囲気が生きてくる。ビジネスライクなスマートさ、微かなロマンティスム、犯罪者すれすれの危うさを漂わせてこそ「一流」の探偵であって、そのままフランス語に持ちこんでも上手く回らない。探偵(デテクティヴ)の言葉が浸透せず、「デテクティヴ・ストーリー/探偵小説」という発想も成熟しなかった、そんな邪推をしてみたりもする。

 仏ノワールに私立探偵はいないのか? 

 ロマン・ノワールの原点、レオ・マレのビュルマ物に始まって今日に至るまで、微かな伝統は存在している。91年、ポラール誌の第2号では『探偵回帰する』の特集が組まれ、ミシェル・ルブランが当時活躍中だった私立探偵を12人も紹介している。『探偵回帰する』はいわば80年代(厳密には74年以降)の紹介だった訳で、その続編として90年代以降を振り返ってみるのも一興かと思う。


〔1〕 「優等生の黄昏」
    シモン・ローズ (パリ7区) 

 1995年『ある伝記作家の解剖』(マックス・ジュネーヴ著、ジュルマ社)で初登場。パリ第7区、ヴァノー通りに面した「2007事務所」に勤務している。

 大柄で細身、やや美形。睡眠時間は並以上。早寝遅起き、犯罪調査の厳しい鉄則に慣れてないといけない立場としては困り者である。

 現在は母親と二人暮し、愛車のフォルクスワ−ゲンが唯一の贅沢。

 『自伝の解剖』ではドイツの詩人の伝記がきっかけでナチ時代に遡る絵画の密売劇にまきこまれてしまう。『TEA』では仏諜報機関の抗争に関わってピレネー山脈へ。『暗殺は五日に』ではスイスに出没した連続殺人鬼(毎月5日にしか殺さない)を追跡。煙草は吸わず、アルコールも時々しか飲まない健康派。自己制御を心得ている。 

 大事な調査はぜひ優等生に任せたいという人に。 


〔2〕 「金髪好きが紳士とはかぎらない」
    匿名調査員 (ドルゴーニュ県ペリグー市)

 「お前さんか。うちのカミサンの周りをうろちょろしてる探偵ってのは。映画にしかいないもんだと思ってたよ」 

 エリック・タラドの短編「フェイク・ブロンド」(2003)に登場。仏南西部ドルゴーニュ県ペリグーに拠点を置く。保険会社の雇われ調査員。 

 保険会社に雇われて働き始めてかれこれ6年。提出してきた書類の前に死体が積み重なっていた。死の匂いには金の匂いが混ざっている。 

 離婚前に夫から金をふんだくろうとした女が射殺される。探偵は否応なく事件に巻きこまれていく。危険な暴力臭をふと漂わせることもある。すえた覚醒感がアメリカの私立探偵を想起させる珍しい本格派。 

 金髪女(カツラ、染色有り)絡みの事件に巻きこまれた人に。 


〔3〕 「LSDとブルースに葬られ」
    コルビュッチ (ニース市) 

 ニース生まれ。50代独身。父がイタリア人、母はルーマニア人。60年代末に政治活動に参加、その後ブルースを聞きながら放浪生活を送り、現在は探偵に職業替え。 

 99年の短編「難破船貸します」(エデン・ノワールの『ティファナ』収録)で初登場。生みの親はパトリック・レナル。 

 この後も舞台を変えて(サラエヴォ、バマコ、ニース)何度か登場し、01年の短編集『コルビュッチ』で独り立ちしている。 

 ニースは腐ってる。警官が手を出さない汚い仕事を受ける奴が必要じゃないのか? 

 南仏は多民族の街、人種差別はまだ根強く残っている。そんなニースの生き証人。ハメット、チャンドラーへの敬意に南仏テイストを加えた辛口端麗の探偵。 

 陽射しの強い真夏の事件に最適。 


〔4〕 「お嬢様とは呼ばないで」
    ルイーズ・モルヴァン (パリ19区) 

- この調査室を選んだのはどうして?
- 室長ルイーズ・モルヴァン。女性だったら穏便に調査を進めてくれる。警察が動けなくなった時に必要かな、と。あとは名前が気にいったんだ。ブルターニュ出身? 

 モルヴァン調査室の室長。元々は伯父が運営していた探偵室を引き継いだもの。現在では19区アパルトマンの自室を事務所代わりにしている。 

 97年の『血姉妹』で初登場。『転換者』では70年代の末に射殺された伯父の死の謎を解決。『テクノキッズは死んだ』ではブルターニュ地方で起こった麻薬禍の偽装殺人を扱っていく。 

 活動的で勝気な性格のお嬢様。年配のクレマン警視と混沌とした恋愛関係を続けている。関係が悪くなるとビールの量が増える悪癖あり。煙草はラッキー・ストライク。 

 気まぐれなお嬢様の恋の悩みを癒せる方に。 


〔5〕 「右手にベレッタ、左手にフォークナー」
    エリック・マラヴェール (パリ15区) 

 1988年の『マラヴェールに御用心』で初出。 

 「私の事務所はスノッブな一画にある」、自分でそう言い切ってしまうのだから大したもの。パリ15区、エッフェル塔から徒歩数分に事務所を置く。基本的には単独行動、人手が必要な場合には甥シャルルの手を借りる。事務所の引出しにベレッタ7.75。当人的には「リヴォルヴァーの方が好き」。長いバカンスを満喫後、96年の『マラヴェールはホテルで』で再登場。 

 表面は快活だが根は内省的。殺伐とした事件には不向き。事件に絡んだ女がフォークナーの推理短編小説『ナイト・ギャンビット』を引用してくるタイプだと本領を発揮する。 

 文学絡みの陰謀に巻きこまれてしまった人に。 


〔6〕 「悪魔を哀れむ歌」
    P.‐C.マルロー (パリ9区)  

 チャンドラーのマーロウと同じ名前だから探偵という仕事を選んだのか?いずれにしてもマルロー家史上初めての出来事だった。 

 02年の『大詐欺師』(ジャン=ピエール・ガテーニュ)に登場。 

 本名はフィリップ=クリストフ・マルロー。パリ9区、ロディエ通りの7階に常駐。主な仕事は浮気調査、たまに失踪した青少年の探索が紛れこんでくる。「それでも華やかな一瞬はあった。5区の高校、マリファナの密売で疑われている学生たちを調べた時だった」。 事務所は二部屋。壁には蚤の市で手に入れたリトグラフが掛かっている。テーブルにマックが一台。客がいない日はウィスキーのボトルを空にしていく。 

 「手段は選ばない」。遺産相続をめぐった一枚の契約書を手に入れるのが今回の任務だった。24年毎に更新される借金の証文は何を意味しているのか?小説そのものは後半から幻想色を帯びていく。 

 神や悪魔絡みの犯罪に巻きこまれてしまった人に。 


〔7〕 「本職は劇団女優です」
    リリ・マルティネス (パリ4区?) 

 38才で身長175センチ。普段は劇団の女優として活躍中。生活費を稼ぐため伯母が経営しているバルディネ探偵社を手伝っている。 

 ミニスカ姿のマーロウを演じてくれ、今までにそう頼んできた演出家なんて一人もいなかった。結局はこの役どころに魅かれたのかなと思う。全身全霊で仕事にとりかかり始めた。 

 『最死者の掟』(エヴァンヌ・アンスカ。1999年)に登場、パリの青年失踪事件を追跡しつつ、SM映画から極右主義まで首都の犯罪模様を踏破していく。

 激情的な性格が目につくが、事件に取りかかった時の行動力は特筆すべきものがある。 

 軟弱な男性探偵には愛想が尽きた、とお悩みの方に。 


〔8〕 「首都で一番有名、そして一番金を取る探偵」
    シモン・アガサピアン(パリ6区)  

 愛称は「ガス」。使っている銃はワルサーPKK。パリ6区で活動中、アパルトマンの隣に事務所を置いている。 

  「探偵は消えたって噂もあるが…大きな間違いじゃねぇか。ほら、今玄関の敷居をまたいできたお客が一人」
 女はハバナ産葉巻にダンヒルで火をつける。
 「父の愛人を誘惑して」の依頼だった。

 雰囲気に地中海が漂っている(父親はスミルナ出身)。陽気で饒舌な快楽主義者。マルセイユ在住の作家ヤン・ドゥ・レコテの『暴力の種』(98年)、『死の病院』(99年)に登場。 


〔9〕 「火が嫌い」
    ヴィクトール・ボドゥロ (パリ)  

 ごま塩のあご髭に古傷が隠れている。 

 名前はヴィクトール・ボドゥロ。火事で妻と子供を亡くした後に自宅を完全に電化、煙草も止めてしまう。現在は放火事件に関わる調査のプロとして名を馳せている。注射器でガソリンを投入したテニスボール。時限装置付きのコーヒーメーカー等…ヴィクトールが解決した事件は数知れない。 

 ミシェル・エンバレクが作り出した新世紀型の調査員。『死が痛い』(2000年)で初登場、次作『痛みの数珠』(2001)にも姿を見せる。古典へのオマージュではなく現在的な切口で語られた濃密なノワール。 

 死んでも火遊びは止められない、という方に。 


 他にも民俗学の学位を持つインテリ探偵(『ジャック・モンゴリー』、ギョーム・ニクル著)やレユニオン島で事務所を経営(『撃鉄戻し』、フィルマン・ミュサ−ル著)など若干数の変り種も生息している。傾向分析してみると: 

・連作ではなく単発物として登場するパターンが多い。(2、6、7、8、9) 

・古典的ハードボイルドへのオマージュを強く前面に打ち出している。(3、6、8)

・地方主義の影響をふまえてパリ以外に拠点を置く。(2.、3)

・探偵の家族関係が重要視されている。 (1、8) 

 などなど。 

 95年以降の「探偵回帰」に特別な理由はない。同年のル・プルプ現象で出版の絶対数が増えていた訳で、古典的な型と現在を結び付けようとする自然な発想だったと思う。だからこそ、逆に「型」にこだわらないで書いているミシェル・エンバレクは魅力的な存在に映る。エンバレクが描きだす探偵ボドゥロは「探偵」には似ていない。テロ、銃器から新興宗教、ビジネス経済、政治に至る膨大なデータベースに接続されたスーパージャーナリストに近い。 

 私立探偵とはある種の神話なのだ。グェリフがどこかでそう書いていた。20世紀神話の一つ。作家は起源へとさかのぼり、神話をフィルターに現在を踏破し、この世界を幾度となく、飽きることなく語り直していく。 


【書誌】

『ある伝記作家の解剖』 マックス・ジュネーヴ著著
   Autopsie d'un biographe / Max Genève
      -Cadeilhan: Editions Zulma. -(Quatre-bis: 1). -1995.

『地獄の一天使/フェイク・ブロンド』 エリック・タラド著
   Un Ange en enfer / La Fausse blonde - Eric Tarrade
      Perigueux: Editions La Lauze. -2003.

『コルビュッチ』 パトリック・レナル著
    Corbucci / Patrick Raynal
      Paris: Editions Albin Michel. -2001.

『血の姉妹』 ドミニク・シルヴァン著著
    Soeur de sang / Dominique Sylvain
      Paris: Vivianne Hamy. -(Chemins nocturnes)). -1997.

『マラヴェールに御用心』 ジャン=ピエール・モレル著著
    Malaver s'en mêle / Jean-Pierre Maurel,
      Paris: Vivianne Hamy. -(Chemins nocturnes). -1994.

『大詐欺師』 ジャン=ピエール・ガテーニョ著
    Le Grand Faiseur / Jean-Pierre Gattégno
      Arles: Actes Sud. -2002..

『最死者の掟』 エヴァヌ・アンスカ著
    La Raison du plus mort / Evane Hanska
      Paris: Librairie Ernst Flammarion. -1999.

『暴力の種』 ヤン=ドゥ・レコテ著
    Gène de violence / Yann de L'Ecotais
      Paris: Hors Commerce. -(Hors noir). -1999.

『死が痛い』 ミシェル・エンバレク著
    La mort fait mal / Michel Embareck
      Paris: Editions Gallimard. -(Série noire,). -2000.




] Noirs [ - フランスのもう一つの文学 by Luj, 2008 - 2010