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ある作家の逮捕
[バティスティ事件クロニクル]

[初稿] 2004年末
[最終校訂] 2009年1月
Tag: クロニクル、バティスティ事件


 

反政府活動家バティスティ(左)と
作家バティスティ(右)。同一人物?


【1954年】 ローマ南に位置する町ラティーナにてバティスティ誕生。

【1977年】 窃盗罪で収監されていたバティスティ青年は反政府主義の理論家アリゴ・カヴァリナと知り合いになる。 

【1978年】 再度窃盗罪で警察の追跡を受け、ヴェローネに位置するカヴァリナ宅に匿ってもらう。カヴァリナが組織していた極左グループPAC(「共産主義武装プロレタリアート」)に参加、ミラノ〜ベネチアを拠点として強奪、対人テロ行為を重ねていく。 


 ベレッタが床に転がっていた。タバコを吸うため寝転がっていたマットレスのすぐ近くだった。[…]セキュリティをかけておく。ひじで軽く銃を押しのけた。冷たく平らな大理石の床を銃が滑っていった。[…]
 隠れ家を提供してくれた男は言っていた。「何があっても鎧戸を開けるなよ」。部屋に誰かいると悟られてはいけない。安全が第一だった。

 『慕情船』、2002年、55ページ


【1979年1月】 ミラノで逮捕。前年に起こった二つの殺傷事件(肉屋、宝石商)、並びにその捜査に当たっていた警察官の殺人容疑がかかっていました。

【1981年】 有罪判決。懲役12年10ヶ月。判決から4ヵ月後、バティスティは脱獄に成功します。


 10年前の81年、イタリアで武装闘争が最後の煌きを見せていた当時、絶望した連中たちが集まって政治結社を組織し始めていた。あそこには何がしかの幸福感があった。時が経過し、かつての仲間たちが牢獄から出るのに手を貸してくれた。

『影の衣』、1993年、13ページ


【1982年】 フランス経由でメキシコに入る。グラフィック系のアトリエに属していた仲間と一緒に政治文化誌「ヴィア・リベラ」を創刊。千五百部で始まった雑誌は号を重ねるごとに読者を増していき、当時のメキシコの「ある種の文化の空白」を埋めるように最終的に一万五千部を売り上げる雑誌へと成長。バティスティの処女長編『影の衣』(スペイン語)はこのメキシコ滞在時に書かれています。

【1985年】 

 「81年以前にテロ活動に関わったイタリア人政治亡命者たちは当時の地獄と手を切り、第二の人生をスタートさせフランス社会に溶けこんでいる。イタリア政府に対し、送還による制裁は無用だと明言しておいた」

70年代イタリアの社会、政治の文脈、さらには亡命者の人権を念頭に置いたこの発言は「ミッテラン・ドクトリン」と呼ばれ、以後、政権が変わっても守られていくことになります[註1]。 

【1990年】 再度フランスに渡る。来仏後一旦は逮捕され5ヶ月間の収監を受ける。裁判所は最終的にイタリア追放の要望を破棄、監視付きの条件で滞在を許可します。 

【1992年】 最初の仏訳となる『影の衣』がセリ・ノワールから公刊される。「政治背景の記述が細かすぎて内容が良く分からない」、ミシェル・ルブランが辛辣な批評を残していました。母国語ではないスペイン語で書かれた一作であり、後の作品ほど「書けていない」のは事実だと思います。 

【1999年】 純文学系の出版社ジョエル・ロスフェルドより『最後の銃弾』を発表。自伝的傾向の作品としては最も熱のこもった力作で、バティスティが作家として評価を高めていくきっかけとなりました。 

【2002年】 イタリアでベルルスコーニ政府発足後、作家身辺が慌しくなってきます。この年、バティスティ同様に政治活動の過去を持ち、当時パリ8大学で教鞭を取っていたパオロ・ペルシシェッティが逮捕されてイタリアへと送還。「バティスティも危ないのでないか」、そんな噂が飛び交いはじめました。 


 「でもミッテランが…」
 「ミッテランは死んだ。EUの土地に新しい司法制度が導入されたんだ。政府連中も何していいか分かっちゃいない。姿を隠した方がいいってさ」

『慕情船』、2002年、93-94ページ


【2004年2月11日未明】 ノワール文学情報サイト「モヴェ・ジャンル」で「バティスティ逮捕」の第一報が流れる。他のメディア(TV、ラジオ)より早かったと思います。現地時間で午前2〜3時くらい。日本時間だと正午前でした。逮捕に反対するオンライン署名が始まります。この日偶然インターネットを開いていたのでリアルタイムの雰囲気が伝わってきたのですが、数分別なサイトに移って戻ってくると署名の列が一挙に伸びている感じでした。ノワール作家多数を含む署名の中に、バティスティ夫人による「私はフランス語は読めませんが、皆様のご支援感謝いたします」の一文もありました。 


※モヴェ・ジャンルは現在閉鎖されていますが、同サイトに掲載されたバティスティ関連のデータ(論考/インタビュー/逮捕に反対する署名)全てをまとめた136ページのPDFファイル(1M)がありますのでアップロードしておきます。


【2月11日】 TV、日刊紙、オンライン情報誌各誌が一斉に事件の報道を開始。媒体の思想背景によって全く事件の表現が異なっており、フィガロ紙やエクスプレス紙など保守系日刊紙では「元テロリストで殺人者の外国人がようやく逮捕されました。めでたしめでたし」の論調でした[註2]。 

【2月13日】 作家ジャン=ベルナール・プイがリベラシオン紙に「黒シャツ党ノスタルジーの犠牲者」を寄稿[註3]。 

【2月16日】 刑務所前に200名を超える政治家、作家らが集まって逮捕に抗議。 

【2月19日】 フランス在住イタリア人政治亡命家による共同声明が発表される[註4]。 

【2月25日】 緑の党が大統領シラク宛に事件に言及した書簡を渡す。 

【2月26日】 作家フィリップ・ソレルスがバティスティ擁護の発言を行う。 

【3月1日】 バティスティの手による「獄中書簡」(2/26付)が公開される[註5]。 

【3月1日】 パリ市議会がバティスティを「市の庇護の下に置く」の決定を下す。  

【3月3日】 釈放。イタリア送還を決定する公聴会が4月初旬まで延期される。 

【3月13日】 パリ市長ドラノエがバティスティを支援する内容の声明を発表する。 

【3月16日】 イタリアのSF作家ヴァレリオ・エヴァンジェリスティによる論考「怪物は如何に作られようとしているのか」(リュマニテ紙)が発表される[註6]。 


 2004年3月30日のバティスティ。


【4月1日】 バティスティの手による「イタリア人、フランス人への公開書簡」(3/30付)が発表される[註7]。 

【4月5日】 イタリア法務省からパリ高等裁判所宛に800ページの資料が届く。 

【4月7日】 送還の是非を判断する公聴会が5月に延期される。 

【4月7日】 バティスティの手による「説明のできない悪夢」が公表される[註8]。  

【5月】 作家フレッド・ヴァルガスによるルポルタージュ/政治試論『バティスティの真実』(ヴィヴィアヌ・アミィ社)出版。作家パトリック・モスコニ、ポラール史家クロード・メスプレッドらの名前が「協力者」に挙がっていました。  

【5月12日】 パリ高等裁判所で公聴会開催。最終判断が6月30日に下されることが決まる。  

【6月26日】 ウヴル劇場に作家フレッド・ヴァルガス、フィリップ・ソレルス、アンリ=マルク・レヴィらが集まってバティスティを支援するイベントを開催。 

【6月30日】  高等裁判所が「送還は妥当」の判断を下す。  

【7月1日】 反グローバリゼーション運動の中心であるATTACがバティスティを支援する一文を公開[註9]。  

【7月2日】 第23回伊仏サミットが開かれる。 

【7月3日】 サミットの席上、仏大統領ジャック・シラクが「送還要請に対して真摯に応えるのは我々の義務である」の発言を残す。  

【8月23日】 「バティスティ、フランスを脱出」の一報が流れる(リベラシオン紙)。 

【8月24日】 イタリアの内相による「一刻も早い逮捕を」の発言。  

【8月25日】 作家から弁護士宛に「フランスを離れた訳ではない」の一節を含む書簡が届く。 


ここからバティスティの逃亡生活が始まります。そして…  

【2007年3月18日】 ブラジルのコパカバーナで逮捕される。逮捕時に所有していた偽造パスポートの名義が「パトリック・モスコニ」だったそうです。バティスティをめぐる議論が再燃しはじめます。  


【原注】

〔1〕: Les réfugiés italiens [...] qui ont participé à l'action terroriste avant 1981 (...) ont rompu avec la machine infernale dans laquelle ils s'étaient engagés, ont abordé une deuxième phase de leur propre vie, se sont inséré dans la société française [...]. J'ai dit au gouvernement italien qu'ils étaient à l'abri de toute sanction par voie d'extradition [...].

    Wiki.frに原文全文が掲載されています。
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Doctrine_Mitterrand 

〔2〕:  2月11日付フィガロ紙に60語程度の速報が載っているのですが、「イタリアで殺人罪よる終身刑宣告を受けたチェーザレ・バティスティ」の表現が使われています。バティスティが作家であるという事実は完全に黙殺された論調です。

〔3〕: Battisti, victime de la nostalgie des chemises noires / Jean-Bernard Pouy
     Libération, le 13 février 2004
     元URLはhttp://www.liberation.fr/page.php?Article=178440&AG#
     ですが現在閲覧不可。
     http://bellaciao.org/fr/spip.php?article4519に置いてあります。

〔4〕: "Communiqué des Réfugiés italiens en France", Paris, 19 février 2004.
     http://metallos.rezo.net/imprimersans.php3?id_article=104
     で公開されていました。現在はリンク切れ状態(手元にデータ有)です。

〔5〕: Lettre de prison / Cesare Battisti
     原文はhttp://www.samizdat.net/他に掲載されていましたが
     現在ではリンク切れです。

〔1〕:

〔6〕: Comment on cherche à fabriquer un monstre / Valerio Evangelisti
     l'Humanité, le16 mars 2004.
     http://www.humanite.fr/2004-03-16_Cultures_Texte-
     integral-Battisti-comment-on-cherche-a-fabriquer-un

〔7〕:  "Lettre ouverte aux Italiens et aux Français"
     現在はhttp://www.hns-info.org/article.php3?id_article=3874
     閲覧可能

〔8〕:  Un inexplicable cauchemar / Cesare Battisti
      l'Humanité, le 7 avril 2004.
     http://www.humanite.fr/2004-04-07_Tribune-libre_
     -Un-inexplicable-cauchemar-Par-Cesare-Battisti

〔9〕: Soutien à Cesare Battisti et aux réfugiés italiens / ATTAC
    http://www.local.attac.org/strasbourg/spip.php?article295
    で公開されています。

その他、「レゾ.net」でバティスティ事件に言及したオンライン・テクストが
相当数リンクされています。
http://rezo.net/dossiers/italiens




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