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ユーロ・ノワール零年
〔ユーロ概念の受容をめぐる周辺状況〕

2008年11月
Tag: 論考。ユーロ・ノワ−ル


 仏ノワール小説の世界に初めてユーロの発想が持ちこまれたのは2001年でした。この当時出版社バレンヌは経営難に陥っており、状況打開のため幾つかの叢書新設を決めているのですが、その一つを東欧文学に精通したソフィ・ケペに委託しています。プロジェクト名は「バレヌーロッパ」(バレンヌとヨーロッパの合成語)となっており、当時の近作予告でもそのように記載されていました。


baleineurope

「バレヌーロッパ[BaleinEurope]」として
記載されていた当初の近作予告。『犬歯とお喋り娘』
(オリビエ・ガルニエ著、2000年10月発表、巻末)


 企画そのものは99年頃から動いていたもので、同年1月の新通貨ユーロ導入に対応した形となっています。ドイツのクリミやイタリアのジャッロ、フランスのポラール。これまでのように国を起点として発想していくのを一旦止めてみよう、欧州という一回り大きな切り口で犯罪小説全体を囲ってみよう。そんな発想が元になっています。

 発想は悪くありませんでした。しかし「かくも近く/かくも遠く」は出版企画としては失敗に終わってしまいます。まず読者側がこの試みについていけませんでした。ソフィ・ケペは純文系の作家・翻訳家で仏ノワール界ではほぼ無名の存在。「知らない人が毛色の変わった企画を始めた」、「ミステリーとは関係無さそうね」程度の認識で見過ごされていきます。当時リアルタイムでウェブの反応を見ていましたが、叢書紹介記事が書かれていないのは言うまでもなく個々の作品の書評や感想すら見当たらない状況。せっかくの叢書は埋没し忘れ去られていきます。

 一冊当たりの単価が高かった(98フラン)のもネックでした。同じバレンヌ社で発表されていた廉価な叢書ル・プルプは一冊39フラン(日本で買うと900円〜1000円)。これに慣れてしまうと余程信頼できる作家・作品でもなければ倍以上の金額は払いにくものです。読み手の反応としては自然でした。この時期のバレンヌ社は赤字業績を修正するため出版物のフォーマットを大きくし、価格の吊り上げを計っています。欲を出して損をした例となってしまいました。

 肝心の作品はどうだったのでしょうか。『死なせてあげる』はリヴァージュ社に作品を残しているマルク・メノンヴィルによるものですが、リヴァージュでの三部作に比べてもなめらかで読みやすい仕上がり。結末部に驚きが足りないのが難点なのですが、読み終えた後に後悔するような出来ではありませんでした。

 「かくも近く/かくも遠く」にはゲスト作家のサプライズ登場もありました。ソフィ・ケペの人脈を通じ、純文学で活躍していた天才肌の作家セバスティアン・ドゥビンスキーがノワール小説に挑戦してきたのです。女、酒、夜、死、いずれの描き方も堂にいったもの。『変光星ミラ・セティ』はグーディスに近いくすんだ質感とオブセッションとを巧みに用い、運び屋と化して世界中の港々をさまよっていく青年画家の運命を端整に描き出していきます。

 他に女性作家2人が長編を寄稿。『最後の絵画』(マリ・パザーネン)はそれほどとは思いませんでしたが、もう一方の『家に沈黙が』は綺麗目の雰囲気を漂わせたメンタル・ドラマになっています。米サスペンス小説の古典『二階の部屋』(ミルドレッド・デイヴィス著、1948年)とも重なってきます。あの密閉した緊張感を現代の文脈で解釈してみせた、そんな言い方ができるでしょうか。

 良い原稿は集まっていたのです。ところがここに誤算がありました。新コレクションを立ち上げようとした時に有名作家を一人二人引っ張ってきて広告塔に使うのは今では当たり前になっています。が、ソフィ・ケペはあえてそれをしませんでした。作品の質に自信があったのではないかと思います。国内作家でまとめてしまった嫌いも残ります。翻訳物を扱ってみる手もあったかなと思います。全体としてメディア上での煽りが足らず、結果として反応も鈍いままでした。「監修者ソフィ・ケペ、欧州ノワールを語る」。マニフェストまでいかなくともインタビュー記事が残っていて良さそうなものです。そんな記録すらありません。

 01年1月に叢書開始。翌年2月の第4冊目『家に沈黙が』で閉鎖。仏ロマン・ノワールに「ユーロ」を組みこもうとするプロジェクトは1年強で挫折してしまいます。

 3、4年早すぎた、時代を先読みしすぎていた。慰めに言ってみることはできます。この後「ユーロ」の概念は様々な形で浸透し始め、03〜4年頃にウェブ上で「ユーロ・ミステリー」の表現が使われるようになってきます。2005年1月にはバルセロナで第1回のヨーロッパ・ノワール会議開催[1]。同年6月には英・独・伊・仏・西のジャンル愛好家が結集し、欧州ミステリーの総合情報サイト「ユーロポラール」[2]を始動させています。これだけの条件が揃った段階で叢書が発足していたのなら反応も大分違ったはずです。

 そこから更に数年が経過。今年も討論会が開かれ、作家や批評家が熱い議論を交わしています[3]。ブログ上で「ユーロ・ミステリー」をタグに使っている人もいます。「ユーロポラール」の知名度は確実に上がっています。愛好家の集う掲示板に「ユーロポラールのお勧めは?」と一行ポストしておけば、世界各国から様々な答えが返ってくるはずです。

 認知度がアップすればそれでよいのか。意地悪な質問も出てきそうです。10年前、ヨーロッパ圏の犯罪小説と言えば英・独・仏・伊・西でした(ベルギーのシムノンなど例外はありますが)。現在、フランスでユーロポラールと言えば英・独・仏・伊・西プラス「北欧諸国」です[4]。ミレニアム三部作がなければ最後の項目すら怪しいでしょう。東欧、ギリシャやマケドニア、そんな視座も抜け落ちています。「ヨーロッパ犯罪小説」を「ユーロポラール」に言い換えて見たものの、読み手側の感覚が追いついてきているのか微妙なところです。

 2001年に戻ってみます。この年セルパンタ・プリュム社から『マザー・ファンカー』という小説が出ています。元々はセルビア・クロアチア語で書かれた一冊。作者はボスニア内戦を逃れ亡命してきたヴェリボール・チョリッチでした。旧大陸を舞台とし、暗殺者が政治犯罪者と戦争犯罪人を抹殺していく四季の物語。ローレンス・ブロックの名作『殺し屋』にも似た洒脱な軽みで光っていた一冊です。

 また01年はジャンニ・ピロッジの『ジプシー殺し』が発表された年にもなっています。SNCF新人賞受賞作。ピロッジはイタリア移民の血を引くフランス作家。仏西部のブルターニュ地方に居を構え、ハンガリーから流れてきた老ジプシー殺しの物語を淡々と紡いでいきます。東欧でのジプシー虐待や政治背景について丁寧な考証がなされており、巻末には歴史資料集ではないかという丁寧な用語集が付されていました。

 イタリア、ハンガリー(ピロッジ)。ポルトガル(ドゥビンスキー)。クロアチア(チョリッチ)。そして「かくも近く/かくも遠く」。仏ロマン・ノワール読みの実感として、質量共にこの2001年がもっとも「ユーロ感」の強かった年になっています。本棚の手が届きやすい場所には『ジプシー殺し』、『変光星ミラ・セティ』、『マザー・ファンカー』が積んであり、ジプシー文学について調べた資料やクロアチア語の発音規則一覧表が脇に置いてあったりします。見慣れたはずの部屋の一角が妙にユーロ化している、そんな不思議な光景でした。

 それから5年以上が経過しています。スティーグ・ラーソン効果で北欧系作品は大分手に入りやすくなりました。大手ではセリ・ノワールがキエル=オラ・ダール作品の翻訳権を獲得。メテリエ社のカタログにはイタリア、スペイン、アイルランド、アイスランド、さらにトルコ語による犯罪小説が含まれています。ユーロ・ノワールを語る下地は着々と整ってきています。スペイン作家のフェルナンド・マルティネス・ライネスは2005年に論考「ヨーロッパ・ノワール小説。定義を拒む一ジャンル」を発表[5]。ここには幾つか重要な指摘が含まれています。結論部に目を向けてみましょう。

 […] ヨーロッパ・ノワールというジャンルには明快な特性や特徴に基づいた文学アイデンティティーが存在していない。見つけようとしても難しい作業になるだろう。端的にヨーロッパそのものが政治的、文化的、さらに言語的に一つのまとまった単位にはなっていないからである。まとまろうと真剣に努力している様子すら伺えない。ひとまず基盤となるアイデンティティーには欠けているものの、見かけとは裏腹にもたらされた結果は多かれ少なかれいつもと同じだったりする。様々な国がごちゃごちゃと混ざりあい利害対立が絡みあっている。当然犯罪小説一般にも当てはまる事実ではあるのだけど。

 フェルナンド・マルティネス・ライネス
「ヨーロッパ・ノワール小説。定義を拒む一ジャンル」、2005年

 筆者は「ユーロ・ノワールとは…」の安易な定義を諌めようとしています。一元的な原理論や定義には拘泥せず、それぞれの国の文化・社会の文脈を大切にしながら現在活躍している作家をその多様性ごと丁寧に追いかけていこう。そんな基本姿勢が見え隠れしています。引用された作家名一覧を含め資料・論考としても一級品。一部の専門家の間では「ユーロ」をめぐる認識がこのレベルまで深まっている証となっています。

 2001年、「かくも近く/かくも遠く」が仕掛けた「ユーロ」の戦略はこの手の優等生的な発言とは全く別種の何かでした。

 まず書き手に新しい作業を要求しています。馴れ親しんだ場所や言語で自己完結しがちな執筆作業に負荷をかけていきます。想像力に越境を課し、それでも読者を説得できる「黒い物語」を描けるのかどうか。何よりも作家としての力量を試していきます。

 この試みを通じて次世代型の表現様式、人物造形や語り口、物語構造、「新しいタイプのノワール」が生まれてくるのではないか。そんな可能性が開かれていきます。アメリカ合衆国という「国家の創生」がハードボイルド成立の遠因としてあるのなら、ユーロ圏の創設がこれまでと違う「ユーロ・ノワール」を生みだしても良いはずです。予定調和に陥りがちなジャンルの進化に軽くプレッシャーをかけてみる。「ユーロ」はノワール型の想像力を次に進めていく「口実」として使われていたことになります。

 今読んでいる作品が本当に新しいのか、面白いのかどうか、この時代に必要とされているのかどうか、読者には見極めが要求されています。想像したこともないユーロ型ハードボイルドが生まれてきているのかもしれません。それを前に思考停止しているようではいけませんよ。読み手としての度量や経験値も試されています。同様に出版社側もニーズや時代の空気を読めているかどうかで実力を計られています。

 抽象的な話では埒が開きませんので一つ具体例を挙げてみます。統合経済圏の発生で往来が楽になった話はご存知かと思います。一方で自由に行き来して欲しくない人(犯罪者、テロリスト)や事物(盗難絵画や違法の銃器)もあるわけで、EUの一部領域ではシェンゲンと呼ばれるシステムが稼動し移動に対するチェックがかかるようになっています。ユーロ導入にあわせ国境を越えていく行為は一方で楽になり、一方で締め付けが強化された形となっています。

 犯罪に巻きこまれた登場人物が国境を越えていくのはクライム・フィクションの重要な型の一つでした。記述や細部を追っていくとユーロやシェンゲン以前/以後の違いを感じることがあります。越境がいかに楽なのか、いかに難しいのか、そんな部分に「ユーロ性」が入りこんできている訳です。 

 実生活でイタリア当局に追われる立場だったチェーザレ・バティスティの著作では煙草を買いに通りに出るだけで亡命並の危機感が漂ってきます。隠れ家の敷居を一歩またぐと外はシェンゲンの世界。ある立場の者にとって「越境」は日常に溢れている出来事なのだと痛感します。バティスティは先に名の挙がった『ジプシー殺し』にも序文を提供。イタリア・ネットワークで新人作家を援護射撃。当のジャンニ・ピロッジは第2長編の『ホテル・ヨーロッパ』でフェミニスト殺害事件の顛末を語っていくのですが、海外に逃亡した犯人を「処刑」するため主人公はアイルランドへと向かいます。本作でも歴史や犯罪の動きは「ユーロ以後」の感性で貫かれています。

 06年に発表された『マフィヤ』(ベルナール・デュフール著)に目を転じてみます。モスクワ・マフィアの裏金を持ち逃げしてしまった高級コールガールと仏ジャーナリストの邂逅、逃避行が描かれていました。ロシア篇が終わった後ヘルシンキ(フィンランド)に舞台が移り、バスク地方で物語を締める辺りにユーロ度の高さを見ることができます。

 極めつけはダンテックの『レッド・サイレン』でしょうか。殺し屋に追われた少女をエスコートして傭兵ユーゴが欧州を横断。記憶に深く刻まれたボスニア・ヘルツェゴビナの戦火が出発点となり、ヨーロッパ最果ての地リスボンまでの長旅を実現していきます。『レッド・サイレン』は93年発表。マーストリヒト条約の締結や欧州連合発足と重なってくるもので、ユーロ・ノワール小説のプロトタイプとして重要な一冊です。

 こういった諸々は物語設定や細部、雰囲気に関わった話になっています。読み飛ばしても筋の理解には影響はなかったりします。ところが細部が蓄積されていき、ある閾値を越えると「ユーロ以後の新しい感性」が浮かび上がってきます。2001年はそれが顕著だった一年でした。ユーロ・ノワールの零年はここからスタートしています。

 ユーロ・ノワール暦0007年。多国籍性や多文化性に目を奪われていても話は進んでいきません。作家、読者、出版社、ジャンルに対する挑戦はとっくに始まっています。「2001年、仏ノワール小説界に初めてユーロの発想が持ちこまれた」。冒頭でこんな書き方をしました。何が持ちこまれていたのか見えてきます。叢書「かくも近く/かくも遠く」、『ジプシー殺し』、『変光星ミラ・セティ』、『マザー・ファンカー』が導入したのはユーロ時代を前提としたジャンル更新の可能性だったのです。


【原注】

〔1〕: スペイン語での正式名称は「Primer Encuentro Europeo de Novela Negra」。欧州圏の作家20名が集まったもので第1回のテーマは「作家モンタルバンの死を悼んで」。フェスティヴァルに参加した作家一覧など詳細な内容はこちらのブログ『ラ・ヴィダ・リブレスカ』にて。別アドレスからイベントのプログラム(スペイン語)のダウンロードも可能です。

〔2〕: 参考URL: http://www.europolar.eu.com/

〔3〕: 2008年4月11日。ボルドーにあるセルバンテス協会にて「欧州ロマンノワールの諸相」と題された討論会が開かれています。スペイン、フランス、ドイツから各一名ずつ作家を招聘した鼎談。フランスからはエルヴェ・ル・コールが参加しています。
参考URL: http://burdeos.cervantes.es/FichasCultura/Ficha46079_11_3.htm

〔4〕: 入門者・初心者向けの文章にこんな一節がありました。「ヨーロッパ・ノワール小説: 様々な国(スペイン、イタリア、ドイツ、イギリス、北欧諸国…)、作家、主要潮流を通した通史概観」。
参考URL: http://www.ours-polar.com/html/formation.htm

〔5〕: 2005年夏スペインの雑誌「キメラ」に掲載された一文で、作家承諾の下ウェブサイト「ユーロポラール」に仏語訳が掲載されています。引用は仏語からの重訳となりますのでご了承ください。
参考URL: http://pagesperso-orange.fr/arts.sombres/polar/
3_dossiers_article_lainez_fr.htm


【書誌】 (文中に引用された仏小説作品のみ。発表年代順)

『レッド・サイレン』 モーリス=G・ダンテック著
    - Sirène rouge / Maurice G. Dantec
      Paris: Editions Gallimard -(Serie noire : 2326). -478p. -1993.

『死なせてあげる』 マルク・メノンヴィル著
    - Je te permettrai de mourir / Marc Menonville
      Paris: Editions Baleine. -(Si Près/Si Loin). -260p. -2001.

『変光星ミラ・セティ』 セバスティアン・ドゥビンスキー著
    - Mira Ceti / Sébastien Doubinsky
      Paris: Editions Baleine. -(Si Près/Si Loin). -179p. -2001.

『ジプシー殺し』 ジャンニ・ピロッジ著
    - Romicide / Gianni Pirozzi
      Brest: Coop Breizh. -157p. -22×16cm. -2001.

『マザー・ファンカー』 ヴェリボール・チョリッチ著
    - Mother Funker / Velibor Colic
      Paris : Le Serpent à Plumes, -(Serpent noir). -2001.

『最後の絵画』 マリ・パザーネン著
    - Le Dernier tableau / Marie Pasanen
      Paris: Editions Baleine. -(Si Près/Si Loin). -255p. -2001.

『家に沈黙が』 レナタ・アダ著
    - Le Silence dans la maison / Renata Ada
      Paris: Editions Baleine. -(Si Près/Si Loin). -178p. -2002.

『ホテル・ヨーロッパ』 ジャンニ・ピロッジ著
    - Hôtel Europa / Gianni Pirozzi
      Paris: Rivages & Payot. -(Rivages/Noir). -284p. -2004.

『マフィヤ』 ベルナール・デュフール著
    - Mafiya / Bernard Dufourg
      Paris: Les Contrebandiers éditeurs. -345p. -2006.




] Noirs [ - フランスのもう一つの文学 by Luj, 2008 - 2010