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デスマッチ
『暴れん坊将軍』 vs 『バットマン』、無制限一本勝負

初稿 2003年02月27日
最終校訂 2009年02月07日
Tag: 英米ハードボイルド、サブカル論、政治


 アンドリュー・ヴァクスの『クリスタル』(1999年)を読んだ。可も不可もない「並のヴァクス」なのだが最後が面白かった。

 パンシーと並んで座ってTVを見た。あいつ数年前はプロレス好きだったはずだが今は嫌いなんだそうだ。なぜかは知らない。最近のお気に入りは日本製ソープ・オペラの『暴れん坊将軍』。ソープオペラは違うのかもしれないが他にどう呼んで良いか分からない。舞台は18世紀の江戸。将軍は身分を偽って火消しの頭の家に居候している。家臣に真実を伝え、制裁を与えていく。手には剣。犠牲者数は懐かしの『アンタッチャブル』を凌駕する。いつでも最後は将軍が身分を明かし、悪人に切腹を命ずる。奴らが命令など聞くわけがない。戦えばなんとかなる、大チャンスだった。将軍が召し抱えている忍者二人組、一人は青年、相方は綺麗な娘さん。大抵は芸者代わりで髪を下ろすのはチャンバラの時だけ。悪党たちは用心棒の背後に身を隠す。将軍は切り進んでいかなくてはならない。剣をカチャリと立て葵の御紋を見せつける。部屋に飛びこんでいく忍者青年。歩み寄っていく将軍。駄目押しのテーマソング。結末はワンパターン。将軍は忍者に命じて悪党を始末する。

 ツボを押さえたなかなかの説明である。「"火消し"は消防団員(the firefighter)だよな」とか「"歴史劇"ではなく"ソープオペラ"か」、目から鱗の指摘を多々含んでいる。手首を捻って剣をカチャリと立てた時、「王家の紋章(the royal crest)」を見せていたのに気が付いてましたか。

 『暴れん坊将軍』や『水戸黄門』、あの手のドラマは普通「時代劇」として認知されている。疑ってみる価値はある。密輸、企業カルテル、政経界の癒着…冒頭部分で犯罪が発生、無辜の市民が巻きこまれていく。吉宗さんや光圀さんがその事件を「解決」。物語の骨格は「歴史ミステリー」、そこに「アクション」(「忍者青年が部屋に飛びこんで」)、「エロ」(「大抵は芸者似だったりする」)、「スパイ/諜報」(「忍者二人を抱えている」)など考えられる限りのB級ジャンルを投げこんでいく。『暴れん坊将軍』は高度にハイブリッドな娯楽番組だ、ヴァクスはそう誉めてないだろうか。

 ヴァクスの視線には棘がある。「異者」の視線で和風娯楽番組を容赦なく解析していく。「手には剣。犠牲者数は懐かしの『アンタッチャブル』を凌駕する」。「チャンバラ(slashing and stabbing)の時」。ヴァクスの目は劇中に「虐殺」を見て取っている。「殺陣」がどれほど映像美学的に洗練されたものか、市川雷蔵のDVD(『大菩薩峠』)をNYまで送りつけてやりたい気にもなってくるが…確かにそれにしても殺し過ぎである。

 日溜りの中で子猫は腹を掻く。背伸びをしてベランダに飛び移る。濡れた洗濯物が乾き始めている。遠くで廃品回収の車が通り過ぎていく。日溜りの中、爺ちゃんと婆ちゃんは茶を飲みながら「あれ」を見てる。再放送を毎日見ている。彼らは、あるいは僕たちは煎茶に立った茶柱について嬉しそうに談笑しながら、日々、「虐殺」のドラマを見続けている。

 ヴァクス的な問題はそこにはない。このノワール作家が『暴れん坊将軍』に言及したのは松平健が「カチャリと剣を立てた」からである。「葵の御紋を見せる」意味に気が付いたのである。

 時代劇(あるいは大衆文化一般)には現在形の欲望や理念がトレースされている。過去に投影されたものを現在へと置きなおしてみよう。犯罪を取り締まる法はある。治安維持用の組織もある。実態は無力化している。悪人は野放しになっている。これらは慎ましやかな一市民の手に負えるような問題ではない(=小市民型政治ニヒリズム)。秩序回復のため、最終的に超法規的な存在者が介入しなくてはならない。血が流れても構わない。正当防衛なら許される。正当防衛にしてしまえば許される。ただし国連軍は来ないでください。内政問題は国内で処理します。…随分とラディカルな社会認識である。

 幾つかの時代劇(『遠山の金さん』、『大岡越前』他)は最終的に司法ドラマの枠組みに回収されていく。入墨のアイデアは面白い。犯罪世界の象徴である「入墨」が結審の契機となっていく。意想外の転倒ではあるが「法が守ってくれるよね」治法国家への信頼は堅持されている。『暴れん坊将軍』が選択しているのは遥かに強硬な立場である。

 立法者=司法者=軍隊を兼ねた唯一者による世直し…?

 ヴァクス作品を思い出してみればいい。バーク連作も多かれ少なかれB級な勧善懲悪物語である。ブルックリン末端に生息する地味な人物が地味に世直ししていく物語だった。「葵の御紋」一つで問題解決されたらたまらないよ、作家が意地悪に解釈したくなる気持ちも分からないではない。

 その同じアンドリュー・ヴァクスが小説版『バットマン』連作にも手を貸していた。『バットマン:究極の悪』(1995年)。これが又つまらない。バーク物の抑制したリアリズム、丁寧に織りこまれた強迫観念が綺麗に抜け落ちている。「並以下のヴァクス」だった。

 バットマン対「究極の悪」。良く知られているようにヴァクス語で「究極の悪」は「幼児虐待」を意味している。バットマンの母親は実は良識派の社会学者、児童ポルノ・プロダクションの全貌(撮影者、現像者、配給者)を執念深く調べ上げた人物なのだそうである。バットマンが母の遺志を引き継いでいくのは言うまでもない。

 巻末には「バットマンは神話だが"究極の悪"は違う」、とセックスツアー関連の報告書まで付されている。

 バットマンは米ポップカルチャー史上でも稀有な存在。合衆国の悪しき無意識を擬人化した感じだろうか。可哀想に『究極の悪』ではヴァクスの傀儡と化している。「闇のペルソナ」が説教と啓蒙を垂れ始めたら世も末である。所詮B級小説、ザッツ・エンターテイメント。開き直るのも一興だが…それって『暴れん坊将軍』と同じやん!

 『暴れん坊将軍』 vs 『バットマン』。引き分け(再戦未定)。


【書誌】

『クリスタル』 アンドリュー・ヴァクス著
    Choice of Evil / Andrew H. Vachss
    -New York : Alfred A. Knopf, 1999.

『バットマン 究極の悪』 アンドリュー・ヴァクス著
    Batman: the Ultimate Evil / Andrew H. Vachss
    -New York : Time Warner International, 1995.




] Noirs [ - フランスのもう一つの文学 by Luj, 2008 - 2010