作戦の舞台
形而上的論争の日記/1999年
モーリス=G・ダンテック

〔初版〕 2000年
ガリマール社 (パリ)
叢書ブランシュ

Le Théâtre des opérations
- Journal métaphysique et polémique - 1999
/ Maurice G. Dantec.
- Paris: Editions Gallimard. -(Blanche).
- 646p. -21cm × 14cm. -2000.

   

 徒然なるままに暴走していく独白を記録した悪名高き「ダンテック日記」の第一弾。執筆期間は1998年12月6日(ケベック移住)〜1999年12月31日(Y2K)。ちょうど第3長編『バビロン・ベイビーズ』の最終推敲を行っている時期に当たります。

 95年の『悪の根』でSF愛好家から文学ジャンキー、野次馬読者まで雲霞の如く引き寄せていたのですが、セリ・ノワールからの発表という経緯もあってあくまでジャンル作家の扱いに留まっていました。『バビロン・ベイビーズ』によって突破口が開かれ、一般文芸誌で特集記事やインタビューが組まれる作家へと躍進していきます。『作戦の舞台』が記録しているのは現在の仏文壇が知っている「ダンテック」が孵化する直前の姿でした。

 「真理とは目の見えない機械である。それゆえ音楽の耳を備えていることになる」

 「真理とは最も絶対的な形で表現された意志である」

 『作戦の舞台』は646頁に及ぶ膨大な試行錯誤となりました。言葉はしばしば迷子となり、空回りし、上滑りを繰り返しています。「人間とは」、「真理は」、「愛とは」で始まる無数のアフォリズムは自己満足の産物。ニーチェやシオランへの共感、敬意を理解できない訳ではないのですが、垂れ流しされた自称「形而上」「争点」は膨大な不毛さによって暴力となり、結果としてダンテック離れを引き起こしていきます。

 例えば。「情報(インフォメーション)とは定義上、何らかの現象の状態を変えていくものだ」。ダンテックの中で新たな存在形態、文学形態の模索は大きな意味を持っています。ただしこのアン=フォルム(形態を与える)はアン=カルヌ(受肉)でもあり、言葉・データによって世界の状態を変えていく行為(文学)は「再構築されたキリスト」の「再来」と重ねあわされていきます。

 ある種のサイバーメシア主義。議論そのものが脆弱なため揚げ足を取るだけ無駄、という感じがします。他にも反国連主義や反イスラム思想を伺わせる文章に人々が目くじらを立てていました。出来の悪い章段には事欠かないので袋叩きにするのは楽ではないのかな、と思います。

 言葉が何かの現象を的確に分節し、書き手と読み手のコミュニケーションが可能になっている個所は20頁にもなりません。97パーセントは「意味不明なジャンク品」。とは言え残りの3パーセントをダンテック名言集にしてしまえば良いのか、というとそれも違うかなと。「『作戦の舞台』は[…]現在進行中の全戦争を記録した物語たろうと欲している。文学は戦いに満ちているのだから」。ぎこちない内容ではありますが、これはこれでスキゾ時代の『ある戦いの記録』なのであって、ダンテック史を鮮やかに彩っていく無数の「踏み外し」の一つとして大事に読んであげたい気がします。


Photo : "The Doorway To Hell" / Archie Mayo, 1930
] Noirs [ - フランスのもう一つの文学 by Luj, 2008 - 2010

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