Spécial Police / Editions Fleuve Noir

スペシャル・ポリス
 〔1949-1987〕

フルーヴ・ノワール社 (パリ)
     アルマン・ドゥ・カロ、サン・アントニオ

【概説】
パルプ・フィクション、PBO(ペーパーバック・オリジナル)ミステリの雰囲気を現代に伝えていたフルーヴ社の犯罪小説コレクション。ミステリー系で2000冊という出版点数に到達した数少ない叢書(他にはマスクとセリ・ノワールだけです)の一つ。  
サン・アントニオやパージュ、アルノーといったお抱え作家に始まり、セリ・ノワールから流れてきたルスーやバスティアニ、ノワール古典作家のレオ・マレやエレナ、80年代以降のネオ・ポラール作家・・・計2076冊のカタログは興味深い作家が目白押しとなっています。
70年代までは「所詮B級」の扱いを受けていたのですが、アルノーが批評家大賞を獲得した頃(77年)から賞レースにも絡むようになりました。絶版になるとそのまま再版されずカルト化してしまう作品が多く、仏ノワール小説の隠れた宝箱となっています。

【諸データ】
【1949年秋】
イタリア系移民の子アルマン・ドゥ・カロによってフルーヴ・ノワール社が創設される。兄弟姉妹と一緒に経営していていた親族会社でした。 
 
【1949年】
ジャン・ブリュースによる『生娘の話をして』(第1番)で叢書スペシャル・ポリスがスタート。ワンピースの肩と膝元がはだけた表紙イラストがパルプ・フィクション黄金期の雰囲気を漂わせています。
【1950年】
後に映画脚本家として名を上げるミシェル・オーディアールが『彼女のために祈れ』(第5番)でスペシャル・ポリス参入。 
【1953年】
『死体安置所の客』(第40番)でサン・アントニオが叢書参入。独特の言葉遊びと規格外の物語世界で独自ジャンルを築いていく作家ですが、最初期は正統派のロマン・ノワールを書いていました。 
【1955〜56年】
サン・アントニオがカピュト名義の4作(『蛆虫どもの祭り』、『焦燥』、『でたらめは沢山』、『とどめを刺す』)を発表 
【1956年】
アンドレ・レイが『袋の底の悪魔』(第88番)で叢書参入。最初期はアメリカ風のノワールを書いていましたが、次第にフランスの地方性を組みこんだ作風に移行していきます。現在でも評価の高い作家の一人。 
【1960年】
『ウィルス』(第226番)でジョルジュ=ジャン・アルノーが叢書参入。この後86年までに70冊以上のスペシャル・ポリスを書き上げ、叢書を支える重要作家の一人となっていきます。 
【1964年】
ジャン=ピエール・ルスーが別名義(ピエール=ヴィアル・ルスー)で『アヴェ・マフィア』(第414番)を発表。映画化もされた一作です。 
【1965年】
後に「ロマン・ノワールの皇太子」と呼ばれるアンドレ・エレナが『沈黙という手段で』で叢書参入。67年まで8冊のエム・キャリー・シリーズを発表していきます。 
【1968年】
ブリス・ペルマンが『片目を殺せ』(第665番)で叢書参入。心理描写を多く含んだサイコドラマで新世代作家の登場を印象付けました。 
【1974年】
ダヴィド・モルゴンが同名の探偵を主人公にしたシリーズを開始(『アルルの淑女』、第1126番)。87年までに36冊を発表する長寿シリーズとなりました。 
【1976年】
ジョルジュ=ジャン・アルノーが『幼児幻想』(第1235番)発表。77年度のミステリー批評家大賞を獲得。エコロジーの視点を組みこんだ興味深い一作です。 
【1978年】
パトリック・シリィがディレクターに就任。スペシャル・ポリスに新しい雰囲気を導入しようとネオ・ポラール系の作家を受けいれていくようになります。結果的にこの判断で叢書が大きく変貌していきます。 
【1981年1月】
ジョエル・ウサンがドーベルマン・シリーズの第一弾『アメリカのドーベルマン』(第1617番)を発表。83年の14作目までスペシャル・ポリスで発表され、その後単独の叢書に格上げされています。 
【1981年】
ブリス・ペルマンが『穢れなき殺人者』(第1641番)発表。82年度のミステリー批評家大賞を獲得しています。 
【1981年】
ジャン・マザランが『太陽の探偵』(第1642番)を発表。南仏に居を構えた探偵フランクリンの連作をスタートさせました。 
【1981年】
スペシャル・ポリスの大半は仏作家のオリジナル作品ですが、81年末に翻訳シリーズ物が登場します。70年代のカルトシリーズ、ジョゼフ・ローゼンバーガーの『死の商人』(1673番)です。 
【1982年】
ジャン・マザランが『対独協力者の歌』(第1701番)発表、83年度の推理小説大賞を獲得。この叢書で最も評価が高い作品の一つです。 
【1984年】
ミシェル・カンが『打ち明けられない遺言』(第1854番)でデビュー。この後リヴァージュ社での作品発表を挟み、純文学系ベストセラー作家へと上り詰めていきます。 
【1984年】
カーの処女作『月に死の影が』(第1862番)発表。 
【1984年】
ジャック・モンドローニが『コルシカ・ブルース』(第1906番)を発表。コルシカ島を舞台としたロマン・ノワールとして最初の作品になるのではないかと思います。 
【1985年】
ジェラール・デルティユが『芸術家を忘れるな』(第1961番)発表。86年度の推理小説大賞を獲得した作品です。 
【1986年4月】
ジョルジュ=ジャン・アルノーの『母=虐殺』で叢書が2000番に到達。 
【1986年】
パトリック・モスコニによる『ルイーズ・ブルックスは死んだ』(第2004番)発表。 
【1987年】
叢書アングルナージュの閉鎖で作家の流入が始まる。アート・テロリスト集団「ル・ソヴィエト」連作の2作目『馬鹿なネズミと意地悪ネズミ』(第2034番、コロネル・ドゥルッティ著)が発表されています。 
【1987年】
2076番で叢書スペシャル・ポリスが39年の歴史に幕を閉じます。小説部門のディレクターだったパトリック・シリィも同年に職を退いています。この後、パトリック・シリィを引き継いだフニ・ギラマンが新叢書コレクシオン・ノワールをスタートさせます。 

【最終更新】 2009-06-09
Photo : "Voici le temps des assassins" / Julien Duvivier, 1955
] Noirs [ - フランスのもう一つの文学 by Luj, 2008 - 2010

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